カナダ最大の博物館ことロイヤルオンタリオミュージアムで興味深い特別展をやっていたので見に行ってきました。その名も『Death: Life's Greatest Mystery』
なぜ生き物は死ぬのか。死んだらどうなるのか。死にたくないと願ったらどうなるのか。いつか永遠の命は実現するのか。死は終わりなのか――それとも始まりなのか。
Through artifacts, specimens, and immersive media experiences, learn how life and death are part of a universal, continuous, and cyclical process. This thought-provoking exhibition explores cultural and natural responses to life and death and asks big questions including: “What if I don’t want to die?”, “What will happen to my body?” and “What will happen to my ‘self’?”. Experience how life goes on after death—and could not without it.
工芸品、標本、没入型のメディア体験を通して、生と死がいかに普遍的、連続的、循環的なプロセスの一部であるかを学びましょう。この示唆に富む展覧会は、生と死に対する文化的、自然的な反応を探求し、次のような大きな問いを投げかけます: 「死にたくないと思ったらどうなるのか」、「私の身体はどうなるのか」、「私 "自身"はどうなるのか」。体験してみましょう、死後も人生は続くのか――あるいは、死なしに人生はありえないのか。
私は1つの事象を異なる学術領域の視点から分析していく、ということがとても好きなので、とてもおもしろい展示でした!*1
死は1つのことばで定義できるものではなく、どの学問の見地に立つかによっても、国や地域差、宗教や文化の差によっても異なるもので、いわば、死は解釈次第であるという考え方は大変おもしろかったです。
まず入口に"Death is everywhere(死は至る所にある)"ってパネルがあってもうわくわく(余談だけどカナダでは博物館などの公共施設はすべて英仏併記がち)
いろんな国や時代の死にまつわるあらゆること――お葬式や墓の写真、祭壇、アートやモニュメントから、映画タイタニックのシーンまで!
まず、biological(生物学的)に見ると?ってところから始まって、生き物の体は死んだら腐りますねっていうのをざまざまな展示物で説明していた。意外だったのが、日本画の『九相図』という絵の展示があったこと。
野外で朽ち果てる死体のうち、とくに美しい女性の遺体が腐っていく途中経過を九つの絵に分けて描いた仏教絵画「九相図」はご存知でしょうか。
あまりにも悪趣味な「九相図」は、女性の死後まもない頃から始まり、次第に腐敗、獣や鳥に食い荒らされ、最後に残った白骨もしくは埋葬後までの様子が細かく描写されています。
(中略)
仏教が流行した鎌倉時代から江戸時代では、修行僧などの若い男性は九相図を見て自身の色欲と断絶していたのです。あまりにも残酷すぎる絵の内容に、吐き出してしまう僧もいたといいます。
(※ROMに展示されてたのはこのWebサイトの九相図とは違った)
見慣れた日本画のタッチで、驚くほどグロい表現だったので、「いや日本人の私でもここまでのもん見たことないけど!?」ってなった。こんなものが流行ってた時代があったとは…
人間が死に、腐敗していく姿を見つめることも仏教の修行のひとつだったらしい。
ほとんどの生物(有機物)は、他の生物に食べられたり、腐って土に還ることで、地球のエコシステムの一部として循環しますねという展示もあった。また、ごく一部の生き物は化石になるがそれにはかなりの条件があるということも書いてあった。
次に、spiritual(精神的)に見ると?のセクション。
死んだらあなたの魂はどうなるかという問いについて、「どこかに行く(somewhere else)」「地球上のあらゆるものに宿る(everywhere)」「この世に残る(remein on Earth)」など、これもまた様々な考え方が存在すると提示されていた。たしかに、キリスト教にも仏教にも「天国」「地獄」の概念ってあるし(でもキリスト教を信じてる人の天国と仏教を信じてる人の天国って、違う場所そう)、死後転生してまた別の命として地球上に生まれかわるという考えも聞いたことあるし、宗教上はどの分類になるかわからないけど「亡くなった人はそばであなたを見守ってるよ」という言説もよく聞くよなあ。そのどれも自分として違和感はないけど、改めて分類すると、全然違う解釈なんだなあと思う。何を信じるかは自分次第ということなのかも…
ちなみに、「この世にとどまる」の例として、日本の幽霊が紹介されていた 笑
まあ言われてみれば「どこかに行く」の対義語として「この世にとどまる」があり、その事例は幽霊なんかも…
「精神的な死」、お次は、その弔われ方について。
世界中のさまざまな地域で、人が死ぬと弔いが行われてきた。火葬や土葬から、死体を保存(要はミイラ)するところも。あなたの死は、あなたの体が死ぬということだけでなく、あなたの周りの他者にも影響を与えるといったことが書いてあった。それこそ大昔の人骨が残っている土葬の展示から、権力者の死や、国にとっての重大な戦争や事件のあとで、人がでかい建物を作るのは世界共通なんだな~と思わせるパネルも。
インドのタージマハル、エジプトのピラミッド、カナダの無名戦士の墓*2。日本だったら古墳とか、原爆記念館とかもこのジャンルに入りそう。アメリカの911博物館のことなども思い出した。そこに人々がつどい、死に思いを馳せる場所が、人間が社会生活を営むうえで必要なのだろう。全然違う建造物の見た目でも、「弔いの機能を持つ場所」が世界中に、そして長い歴史の中のあらゆる時代に存在するのは興味深い。死があんまり意味をもたない集団とかも探せばあるのかな~。
動物の中にも仲間の死を悲しむものがいるというパネルがあった。まだわからないことも多いけれど、死とは家族や仲間が永遠に返事を返してくれないということを動物たちは理解しているのかも、という研究が進んでいるらしい。
最後に、これが一番の目玉かな?メキシコの各家庭のオフレンダ(祭壇)を再現したもの。リメンバーミーで見たやつ!ってなった愚かな私をお許しください。
ガイコツとマリーゴールドで彩られたカラフルな祭壇と家族の写真。やっぱこのビビッドな色彩感が、今まで見たどんな”死”を扱った絵や工芸品とも違っていて華やかですごい。と同時に、ここまで見てきて、人の死を扱った催事って本当にその国や民族にとって深い意味を持つものだし、それをなんか「カラフルでかわいい!」みたいな感じでディズニーが映画のモチーフとして利用しちゃったのは、文化の盗用みがあるというか…メキシコ人はあれ、よかったんだろうかと思うなどした。
最後に「人はみな死ぬ。死ぬ前にかなえたいことは?」みたいな言葉があって終了。コンパクトだけど色々な視点を与えてくれるおもしろい展示だった。
個人的には、死に意味はない…というか、死に意味をもたせてはいけないと思っていて。特に昨今の日本で、自死が強いメッセージをもってしまう事例をいくつも見ているから*3。変わらない体制が、一人の自死によって顧みられ、組織がようやく動く…ということをまのあたりにするたびに、人が一人死ぬ前に変われなかったことがどう考えても問題だし、結果として自死が意味をもってしまったことに憤りを感じる。そんな人柱みたいに人の命のこと思えない。
また、自死に限らずだけど、大切な人を亡くした人がいて、「あなたが生き残ったのはあなたにはまだこの世で果たさなければいけない使命があるからだ」みたいな言説は、映画や漫画などのフィクションの世界ではよく見るけど、現実においてそんなことはないだろうと思うし、言ってはいけないことだとも思っている。
だけどこの展示を見て、「その死をどう解釈するかは自分次第」だと腑に落ちた感じがした。もはや、解釈などしないというのもひとつの解なんだと思う。また、私は個人的には反対だったけど、残された人が生きやすくなるなら「あの人のぶんまで生きよう」とその個人が決意できるならその考え方はその人にとって必要なものといえるのかも。国や文化によってもこれだけ異なる「死」なのだから、個人の数だけ受け止め方が違っても良いのだと思えた。明確なひとつの意味などないから、逆に、自分がどのようにその死と向き合うかも自由。それを肯定する理由が世界中に、歴史上のあらゆるところにある。自分にとってしっくりくる”死”を探るのも人生の営みの一部なのかもなあ。
ちなみに、この展示の中にはなかったけど、カナダは安楽死を合法化している国である。生命倫理の視点から読み解いたら、次は何が見えてくるだろう。