【アラサー】30歳前後で人間関係リセットした?あのときのサイアクな気持ちを振り返ってみよう!

最近けみおくん(28)がpodcastで”人間関係リセット症候群”について語ってたというこちらのポストを見て、気になってその回を聞いてみた。Youtubeでも同じテーマをあげてて、どっちも聞いてみたけど大筋は同じ話で、podcastが要点まとまってて、Youtubeは付随するわりと広めなエピソードまで語ってた感じ。

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要点はこんな感じで、

  • 黙って違う場所に引っ越す、黙ってSNSのアカウントを消したり移行したりすることを”人間関係リセット症候群”といって、経験したこと(自分がした/相手にされた)がある人が8~9割
  • インスタフォロワーが100万人以上いるけみおすら、「インスタって、本当に毒々しい場所で、今すぐ消したいって本当はみんな思ってますよね?投稿した瞬間になぜか、消したくなる」。なぜならSNSのフォロワーは”ゴーストフォロワー”と呼ばれるもので、誰が見たというのは表示されるのに、アクションが送られてくることはほとんどない。人間は投稿したら、反応が気になってしまう生き物。どう思われただろうかとマイナスに考えてしまうようになっている
  • 裏アカを作ったり、ストーリーズの公開範囲を”友達だけ”にすることもできるけど、じゃあその公開範囲を誰までいれるかとか、自分がその範囲に入ってない、はずされたみたいな問題も出てくる
  • 人間関係は変わっていくもの。自分の人生においての登場人物は常に変わっていく。必ずしもネガティブなことだと思わない
  • 年を重ねれば重ねるほどみんな人生の優先順位が明確になってくる。また、経験を重ねると守りたいものがでてきたりするから、新たな出会いがあっても、いきなり親友になれた学生時代や20代前半とは違う
  • 20代前半のときはいろんなジャンルの友達がたくさんいた。いま28歳になって、気づいたら同じ方向に向かってる友達が増えてきた。私で言ったら、目標をもってて、夢がある友達が多い。友達を見て、私もちゃんとしなきゃと思ったりする
  • マイルズ(みんなご存じけみおくんの元ルームメイト)を見てると、すごい大人になっていってると感じる。出会って8年。出会った頃と比べるとちゃんと自分の人生の段階を登っているというか、「昔はこういう遊びをしてたけど今は違う、今はこういうこと」っていう、人生における自分で開けた扉を、自分で閉めるっていうことができる人。人間関係に依存したり、それをずっと続けるっていうことがない。「楽しかったよねあのときは。でも今は」ってことがちゃんとできるタイプ。そういうのを見てると尊敬するし、比べるじゃないけど、ああ自分もできるのかな、ちゃんと大人にならなきゃいけないな、成長しなきゃ、成長できてないのかなって思って怖くなる時もある。
  • 27歳くらいからが、20代を閉じる作業。私の中で。「あー、あのとき楽しいことあったよなー」…で、終わるっていう。「あー楽しい、続けたい」じゃなくて「次に行かなきゃ。次の自分に会いにいかなきゃ」って感じ。その作業をこの3年でしてるって感じ。

 

特に後半の話がおもしろいなーと思って聞いていた。27歳でこの考えに至れるのすごくないかと思う。10代からインフルエンサーやってたから変化の速度も早いのかな…。そして、今の世の中ってどっちかっていうと「自分の好きや楽しいに正直でいることはいいこと!」「年齢なんて関係ない!自分の好きをつらぬこう!」的な言説の方がよく見る気がするので(否定されにくい考えだからでしょうか)、そんな中、「ずっと楽しいだけではダメ、人生のステップを自分で意識して進まないといけない」ってはっきり言える20代の人はすごいなと思った。

ふんふん聞いてたけど、そういえば私も28歳のときになんかもう色々と人間関係および自分のいる環境に限界を感じ、そうして今海外にいるので、今思えば、この症候群だったのかもしれない(もちろんそれだけが原因ではないけど)

 

これを聞いてから当時のイヤ~な気持ちを思い出してしまった。周りの女たちが急に敵になる(?)みたいなことが3か月連続でおきたときに私は生まれて初めて「女友達 いらない」Google検索したことを覚えている。女は28歳になると頭おかしくなるのか?と思った。

hontonokoto.hatenablog.com

検索でhitしたこの記事読んでめっちゃうなずいたな~、今見たら後半は非公開になっていた。よっぽど検索流入が多い記事なのだろう… 冒頭のこの言葉、いま読んでもなるほどな~と思う。

 

10代までの友達って自分のスペックそのものだった。
友達が自分の価値そのものだったから、ある意味、親よりも大事な存在だった。
20代になると、友達は会社で押し殺している本当の自分を証明するものであり、友達と過ごす時間はライフワークのようになっていた。
30代になると、女友達という存在は一変する。
既婚組は雲の上の上空から見下すように接してくるし、独身組は足を引っ張り合う地獄の餓鬼のごとく変貌を遂げる。

 

私は大学が女子大だったこともあり、人生の大半を女友達と過ごし、共有してきたタイプだ。どんなこともまず女友達と話して、共有して、相談する。男友達もいるけど、人生を共有する対象として思ったことなかった。Sex and the Cityみたいな、「男は人生のスパイスとして必要だけど、女友達は永遠」みたいな世界観が好きで憧れてたし、恋愛や性愛よりもシスターフッドで繋がれるほうが強い絆的な価値観がけっこうあった…気がする。

なので28歳で生まれて初めて「もしかして女友達って…いらない…?」と自分で思ったときは衝撃だった。それって、今いる女友達が不要というよりは、「それまでの自分の人生が全部、今ここから継続する意味なくなる」っていうことを意味していて、え!!!マジ!?!?!となった。人間には現状維持バイアスがあるし、はいそうですかとはなりにくい。

それでも、「今まで誰にも迷惑かけず、他人に優しくをモットーに生きてきたのに、こんなことある?????」レベルのことが立て続けにおき、気持ちがガラリと変わるのも一瞬だった。なんか、脳に風が吹いた気がしたこと覚えてるもん。その直後の会社の飲み会で「最近周りの人間が全員やばくて、離れたいけど、でも別に家族と仲いいわけでもなけりゃ彼氏もいないし、友達いなくなったら本当に1人になりそうで不安…」と相談したら、諸先輩方から一言目に「逆にもう一旦全員捨てな。本当に大事な人はそのあとも連絡できる。それに趣味がある人は大人になってからも友達作れるから大丈夫」という力強いお言葉をいただき、マジで決意が固まったのであった。

 

当時私は、別にシングルでも私は私で楽しくやってるし、仕事もまあ大変だけどがんばってるよなという自認でいたのだけど、結構、自分が本当に思っていることではなく相手の望んでいるであろうことをしゃべるという癖があり(これは今もある)、相手に合わせて会話を展開していた。例えば…なんだろう、定職につかずよくわからない会社に短期間で転職を繰り返してる友達に対して「自分でちゃんと見切りつけて次のステップに進もうと思えてすごいね、私なんだかんだ不満言いながらもなんだかんだ今の会社長くいすぎちゃってるからなあ」って言うみたいな…。でもなんか、私は相手に親切にしてあげようとか、客観的に見たら私のほうが上かもしんない(業界内ランクの高い会社に長く勤めている)ことで相手に気を遣わせないようにしようの気持ちで、多少自分の生活や気持ちを犠牲にしてあげていたつもりだけど、そのぶん自分が他人から優しくされるということは特になくて、むしろ恩を仇で返される展開が、前よりもかなり増えた。さっきの例でいくと、「そうだよ、いつまでそんな泥船の会社にいるつもり?全然仕事もうまくいってなさそうだし。私を見習ったら?」って返されるみたいな。こっちは非正規雇用のお前を気遣って自虐してあげたつもりだったのになんじゃそれみたいな……。でも、人間の印象ってその人の口から出た言葉でほぼ決まっちゃってるんだなということもそれらの経験を通してわかったし、謙虚でユーモアのある人でいたかったけど、相手にマウントさせないためには、武装したり、自分に自信があるように見せたりすることも人生には必要なんだと思ったのであった。悲しいよね。他人に弱みは見せてはいけないということもそこで学んだかな。

27歳の1年の抱負は「人に優しく」だったのに、28歳の1年の抱負は「自分の人生に集中」となった。180度転換すぎやろ。

 

また、そういうのでいちいちオロオロしてしまっていたのは、他人の反応を過度に気にしてしまっていたからで、それって自分の感情や時間を他人のために使ってるということに他ならない。自分が本当に大切にしたいものがわかっていたら、そういうことにリソースをさかずにすむし無駄な寄り道をする必要がなくなると思った。そこで、コロナ禍でぼんやりと考えていた「留学してみたい」を、実際に行動に移そうと思って、エージェントにアポをとったのであった。

そのとき見ていたドラマ「オレンジイズニューブラック」の中で、「他人のことばかり気にかけていたら他人の尻をぬぐってる間に人生終わるわよ」みたいな台詞が出てきて、私に言われたのか!?と思うほど胸に刺さりました。今も時々思い出す言葉。

当時の私はクライアントワークをしていたので、1日10時間以上は要は他人の仕事ために働いており、さらにプライベートでも他人の気持ちを慮って優先していたら、マジで私の人生全部他人のために使うことになっちゃうじゃんという気づきもあった。

 

「類は友を呼ぶ」とか「環境が人を作る」みたいな言葉は結構当たってると思ってて、そのぶん、自分がいる環境の停滞感、閉塞感が苦しかった。何か変えなきゃ、進まなきゃって思って、そうするには、「それまでの人間関係を切る」「目標を決め、そのために自分の時間を使う」と決めるのが一番だった。誘われたらなんとなく行っていたような飲み会も断るようになり、留学のための勉強をするようになった。

 

私の個人的な考えだけど、人間が何か変えたいと思ったときに実は一番簡単なのが「友達の整理」、次に「住む場所の変更」なのではないかと思う。だいぶ離れて次が「転職」、そのあとが「結婚/出産」。私がこう思うのは、変化するのに他人の関与(協力)が必要な順である。アラサーの、特に女性は、友達との距離感を一番感じる出来事が結婚まわりだと思うのだが、いくら結婚したいと思ったからってじゃあ明日しようとはいかない。その分、「インスタを消す」なら、今この瞬間に自分の力だけでできる。できるのに、強力なパワーを持つ。だから人は人間関係をリセットしたくなるんじゃないだろうか。断捨離と一緒ですよね。された側からしたらたまったもんじゃないけど、でも、そういうのが必要な瞬間って、来る人には来るんだと思う。

 

当時、仕事の人間関係もプライベートの人間関係もかなりtoxicだったと思うし、会社をやめて海外に引っ越したくらいじゃこんなtoxicな関係はすっぱり消えるということもなかったけど、でも、しないよりはして確実によかったと思うし、さすがに日数も経って、薄らいでいったし、私も忘れていった。このまま忘れとけばよかったのに、なんか書いてしまった。もっと詳細を書こうと思えばいくらでも書けるけど、書くことで思い出したくないし何より残したくない。そもそも過去を捨てるって話じゃないんかい。時間が経ったらこの記事も消すかも。

 

日本に帰国する時が近づいてて、そのとき、昔と同じコミュニティにそのまま戻りたくないなーと思う。変わりたくて行動したのに、元の自分に戻ってしまうのが嫌だからだ。でもつい、前のままの自分でいるという楽な道に流れそうになるときもある。そういうときに思い出したいのは、「自分が集中したいことは何?」ということだと思う。まわりにあわせた自分でいようとするのではなく、自分の目標を常に見つめて、それに向かって進める自分でありたい。

 

私今まで、guilty pleasureは何かと聞かれたら、チーズと卵を入れた辛いラーメンを食べながらドラマを観ることと言ってたけど、ある意味人間関係リセットもguilty pleasureの一種なのかもと、ここまで書いて思った。痛いけど気持ちいいよね。気持ちいいけど痛いしね。

 

みなさんはアラサーのときに人間関係って整理しましたか?よかったら教えてくださいませ。それではまた。

 

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