「で、東京オリンピックなくなったけどいつまで東京にいるつもり?」/『悪友vol.3 東京』感想(いまさら)

ブログタイトルは今年の上半期に、上京してる地元の友人たちと話しているときに出てきた回数ランキング1位の会話です。

 

2020年7月24日ですね。本当だったら東京オリンピック開会式の日だったというのに、現実は不要不急の外出を控えるように言われておりまして、不思議な気分です。本当なら開会式をテレビで見てわくわくしている予定だったのに… 今日のテレビはコロナ感染者数が過去最多というニュースばかり。こんな日になるなんて誰が予想できたでしょうか。

 

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何かにつけて「とりあえず2020年まで」というのが1つの指標になってる感じがあって、もれなく私もその1人でした。今思うとそこに理屈は特にないんですけど、めっちゃつらいときとかも「2020年までは頑張る」って思っていたので踏ん張った場面も何回かあったと思います。

でもオリンピックそんなに観たいの?っていうと、そうでもなくて、実際チケットはとらなかったです。2019年のチケット発売時の時点で、本当に私は来年まで東京にいれるのだろうか?と不安だったのもあって動けなかった。それくらいいつもぎりぎりの気持ちで東京に住んでいるのも事実でした。

私は東京を好きだけど、東京は別に私を好きではない、とずっと思いながら暮らしている。今もそうです。私は地元をとにかく出たくて上京したひとの1人なので、東京にしがみついて生きているけど、でも死ぬまで東京にいるイメージもそんなにない。けど「東京に住んでいる今」と「いつか地元に帰るかもしれない未来」の間に具体的な計画もスケジュールも何もなく、いつもそこはかとなく宙ぶらりんな気持ちでいます。

そんな私にとって、「とりあえず2020年まで」というのはかなり明確な1つの指標となってくれたのでした。

 

 

ということで「私と東京」について改めて考えたくなり、約3年前に刊行された劇団雌猫さんの同人誌『悪友vol.3 東京』の感想を書いていきたいと思います。

 

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mogmog.hateblo.jp

 

2017年12月刊行の同人誌。普通に刊行当時に手に入れて読んでいたんだけど当時の私は上京して3ヶ月しか経っておらず、このテーマのあまりにも当事者すぎて情緒がぐちゃぐちゃだったので冷静に感想を書けなかったのであった。しかも上京後いきなり挫折しており、「東京なんか来なきゃよかった」と心臓が破裂しそうなほど病んでいたので、余計になんか…直視できず…

そもそもvol.3のテーマが発表されたとき、劇団雌猫の人たちが4人とも東京在住ってことを知ってたので「すごいな…東京の人って『みんな、東京って特別な街だよね?』ってスタンスで本まで出すんだ…」という思いでいたことを懐かしく思い出す。だって『悪友vol.3 埼玉』とか『悪友vol.3 佐賀』で本出そうってならなくない?ならないでしょ。なんなんだよ💢東京の人って本当に東京以外の街が存在すること知らんのやな💢💢と謎のむかつきを胸の中でザワザワさせていた。

そう、私はめちゃくちゃ東京への憧れを募らせすぎた結果、東京への憎しみも同じくらいこじらせてしまった地方出身者なのです。

 

以下、各話へのコメント(と見せかけてほぼ自分語りです、すいません)。

 

01 これ以上青森では小説を書けなかった女

でも、わたしは、それがどんなにたいへんでも、東京に出てきてよかったと思う。それくらい選べるということは重要だった。それは尊厳だった。

わかる。すっごいわかる。わかるけど上京当時の私はこの言葉をどうしても言えなかった。今は、3年前よりは言えるけど、今も100%の気持ちでは言えないかも。

上京することは「尊厳」である、という表現は痛いほどわかって、これに共感できる地方出身者は多いのではないか。私の地元でも、頭のいい子や、親が優秀な子はみんな東京を目指した。ちなみに、その実態を目の当たりにしてるからこそ、「東京に行かなかった人≒成績が悪い or 視野が狭い」に当てはまりがちなのも地方。そんなわけないじゃんって言う人がいるのもわかってる、けど、実際問題として、18歳で上京した友達から「もう私、東京が便利すぎて地元には戻れないな〜」って言われるのが、18歳で上京できなかった私にはものすごいしんどかった。

ちなみに私は高校生までガラケーだったし自分のPCもなかったので、この人や劇団雌猫のひとが言うみたいな「青春をインターネットと共にした」感覚もない。漫画もゲームも禁止の家だったので、高校のとき何してたのか本当に思い出せない…

 

02 黒バス最終巻を求めて関門海峡と戦う女

九州あるある、福岡以外出身の九州のまあまあきれいで優秀な女の子はとりあえず福岡に行くが、男の子は東京に行くので、福岡には素敵な独身女性があふれがち。

これは「なんとなくそう見える」って体感レベルの話ではなく、福岡は女性の方が数が多い、女性未婚率が他の政令市と比べても高いというのは10年くらい前からずーーーーっと統計でも言われていて、つまりなんかそういう街なんです。

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私は福岡に住んでいたとき、福岡のそういうところもめちゃくちゃ嫌で、福岡の1番大きい相席屋JISに行くと、「そういうお店の子か?」ってくらい若くて綺麗な女の子と相席してるのが太ったおじさんたち、みたいな光景がザラで、本当にクソな街……と思っていました。よかったら行ってみてね。

fukuoka.jis.bar

 

福岡の人は福岡を田舎と言いたがるので、心の中で何回ちゃぶ台返しをしたかわからない。

だって田舎だもん……。笑

でも福岡でビジネスをしてることを誇りに思ってるタイプの人って「福岡はアジアの中心」って結構本気で言ってるからな。100歩譲って東京だろ、なんならアジアの中心って冷静に考えて香港かシンガポールだろ。東京来て気づいたけど、福岡の話してる人とか1人もおらん。何を根拠に「福岡がいま話題!」「福岡に移住する人が増えている!」とか言っているのやら…

 

私は本を発売日に読みたいという感情を持ったことがないので、新刊発売日で東京との隔たりを感じる、という視点は新鮮だった。電子書籍が普及した今も同様の問題はあるんでしょうか。私は今も福岡の悪口を言うとき「文明のない街」と言っているので、「いつか文明開化が起きるかもしれない」って表現には共感しかない。笑

私もいつか地元に帰る日がきたら、この方みたいに「今の暮らしに満足していて後悔は微塵もない。東京に住むことももうないだろう」ってきっぱり言えるようになっていたいな。

 

03 大阪帝国で不自由なく育った女

関西に住んでたことあるからわかるんだけど

あと元々、都は関西にあったし……(?)

って本当に関西の人しか言わない謎主張で笑う。でもわかるよ。

 

結婚の関係で素敵な街に引越し、っていうのはある意味ものすごくうらやましく見える感じがする。「私にそんなつもりはなかったんですけど…」みたいな力んでなさっていうか、東京に行きたすぎて目が血走っていた私のような者からすると、”クールぶりやがって、どうせ東京に住めて嬉しいくせに…” みたいな(?)。

海外駐妻みたいな感じに見えるのだ。純度100%の逆恨みっすね〜〜〜!!

 

東京に住み始めて、社会人になって初めて「マジで金がない」って思った経験は私にもあるので共感でした。地元で働いていたときは実家住まいだったのもあり、平均賃金が高いはずの東京に来てからの方が圧倒的に貧乏暮らしになってしまった。貯金残高を見て病むのも初めての経験だった。いろんな人に「東京に来て給料あがったっしょ?」って聞かれるのもストレスだった。なんなら手取りちょっと減ったし💢 なのに生活費は2倍くらいになって、いろんな人に「なんかもうちょっと上手いやり方で東京来れんかったん?」と言われ、自分のそういう不器用さも悲しくてむかついていた。

全部東京のせい!!!!!!!!!!!!!

しかし、この方のいうように、減ったお金や時間と引き換えに新しく出会ったものもたくさんある。インターネットでつながっていた人と、初めてオフで会ったのは東京に来てからだった。今やっている仕事も、地元じゃ絶対にできない仕事をやってる。似たような仕事はあるだろうけど、でも断然、なんていうか… 上位互換の仕事だ、と思う。うまくやれているかは別として、東京に来ないと経験できなかったことのひとつが「仕事」なのは、結構重要なんじゃないかと思う。

 

04 名古屋から横浜アリーナに通う女

名古屋に住んでる人ってみんな、名古屋の良いところ聞くと「東京にも大阪にも出やすいよ」って言うよね。それは果たして名古屋自体の良いところなのか?

 

遠征する交通費をチケット代に換算したらあと2〜3公演入れるな…と思うこともある。

 

これ死ぬほどわかる。毎日思ってた。東京に来てからは、引越し代やら日々の生活費で、趣味に使えるお金はめちゃ減ったはずなのに、でも、なぜだか、趣味にかけるお金と時間は、増えたと思う。「遠征の交通費がいらない」っていうのは、こんなに、こーーーーーんなに、凄いことなんだと、本当に本当に実感した。

現場がハレの日だから日常と切り分けたい、って気持ちはすごくわかる。東京に住み始めてからも基本的に現場は土日に入りたいと思ってる。止むを得ず平日に入らなくちゃいけなかったら(平日にしか公演がないなど)なるだけ午後休をとるようにしているけど、でもそんなに上手くいかないことも多くて、仕事がトラブってる最中に現場に入るのが私はものすごく苦手だ。大好きなはずのものを観ているのに頭の中が集中できてなくて、推しを見てるときにクライアントからの怖いメールが頭をよぎると死にたくなる。しかもそういうときは公演が終わって仕事用のスマホを観ると鬼電と鬼メールが入っているので、非日常に浸る余韻もない。高い金払って死にたくなりたくないので、今でもできるかぎり仕事がない日にチケットをとれるように努力している。

無理してまで平日に現場に行かない、って思えるようになったのも、こういう経験を繰り返した今だからこそ思うのかも。昔は、平日の千秋楽にどうしても行きたいから有給とってなんちゃらかんちゃら…とか考えていたような。

 

けど、今一緒に働いている人たちは、平日にオタ活をするのが上手い人が多くて私は尊敬している。私はワークオタクバランスをとるのが下手なので、「仕事が忙しくなさそうな時期を想像して有給をとって現場に行く予定をたてる」…みたいなことをしがちなのだが、上手な人は「先にオタクの予定を決めて、だいぶ前もって社内に『この日はいません』と周知させ、自分を稼働する案件は前もってスケジューリングする」のが上手い。

私もいつかそんなワークオタクバランスのとれた人になれるんだろうか…。テレワークの推進でますますそういった能力が問われてくるように思う。

 

余談だけど私は名古屋に住んでいたことがあるにも関わらず、名古屋になんの感情も持っていなかったのだが、ヒプノシスマイクにナゴヤディビジョンが到来してからいきなり名古屋という街ごと好きになってしまった。今年の初めに別の現場があって名古屋に行ったとき、PVの聖地巡礼までばっちりやってきました。

オタクだから好きになった街ってあるよね?っていう巻末質問コーナーあるけど、いまさらながら共感。

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05 隅田川から逃げたかった女

もぐもぐさんかなあ。もぐもぐさんの文章って匿名でもわかるのがすごいよな。

私はもぐもぐさんのブログが超すきで3つあるはてなブログの多分全記事読んでるんだけど(ネトスト…)(でもそういう人多いでしょ、多分)、いろんなエントリから溢れ出る「東京が好き」って気持ちがいつもまぶじい。この「隅田川から逃げたかった女」にも出てくる、

見渡す限り埋め尽くす人の群れ、ごちゃごちゃと統一感のない広告たち。それぞれの店から協調性なく漏れれくる爆音。全体的に煤けた景色。

 

汚らしくて下品で、夢と現実の間でギリギリでバランスとってるみたいなこの街 

 

みたいなエモい形容を、私は一生東京に対してできない、と思う。だから印象に残るし、憧れ…とはちょっと違うけど、こういうレイヤーで東京を見るひとがいるんだなあ、という気持ちになる。

私は新宿も渋谷も嫌いだ。何ってとにかく汚い。治安も悪いし、人が多すぎて、なんかいつもじめじめしてる感じがする。通路に面してる飲食店が大体まずいなんて本当にこの街くらいだよ。そもそもまずい飯で店をだすな。新宿や渋谷に特に楽しい思い出もない。「JKのときに原宿でクレープを食べていた人」に対する漠然とした憧れは一生消えないと思うけど、でも、まだ東京に住む前、観光で東京に来た学生時代、原宿にあるインスタフォロワーが多いめっちゃバエなお洋服屋さんに行ったとき、「いらっしゃいませ」さえ言われなかったことが衝撃すぎて原宿のことを一生好きにならないと思う。笑 客とさえ思ってもらえなかったのだ。ダサくて金のなさそうな田舎者って見た目で判断された屈辱は私の心に深い傷を負わせてしまったのであった…。

今となっては笑い話だけど、こんな10年近く前の、たかだか5分くらいの出来事をいまだに覚えてるんだから東京コンプレックスってすごいですね〜

 

06 在宅地方民に怒れる女

「行けないけど応援してます」を俳優本人に言っちゃう人の神経は本当にわからんけど、そもそも俳優にリプする神経がわからんので、結論としてTwitterにいる人は変な人多い。

規模の大きいアイドルグループやミュージシャンを好きだと、地方在住でもわりと楽しめたりするんですけど(全国ツアーとか、ドームツアーとかがあるから)、2.5次元俳優や地下アイドルみたいな、規模は小さいけど距離の近さが売り的なコンテンツはマジで東京にしか現場がないことが多く、それを痛感するのも地方民ならでは。私は地元に住んでいたとき、東京でしかない公演(※初期の真剣乱舞祭のことです)のことはこの世に存在しない公演と思い込むことでことなきを得ていました。2.5次元は、公演は地方都市まで行くとしても、リリイベとかは基本東京ですしね〜。

今はライブビューイングというものが普及し、本当にいい時代になったと思う。ライビュを本公演と同じ価値があるとするかは人によって分かれると思うんですけど、個人的には「ないよりは絶対あったほうがいい文化」だと思っています。

 

地方出身者のくせに奢っていると思われるかもしれないのだが、私もこの方のいう「地方だから行けません」「東京はいいな〜」的言説にイラッとすることはあって、なんかの2.5次元(多分とうらぶ)の交通広告が東京の主要駅に貼られたときに「こういうの全部東京だよね。東京のことしか考えてない」的な怒りのリプを公式に送りつけてる人を見て、勝手に思っとけやと思ったことがあります。これは上京経験者としてむかついてるのもあるけど、近い仕事をしてる身としてもむかついたというか、「広告予算は有限なんや。東京が一番人が多いんや。交通広告は一番ターゲットの通行量の多い枠をとるのが一番効果があるんや。そんくらい考えればわかるやろ」という気持ちにもなった。わかる、わかるで、そもそも「一番人が多いところを優遇する」から結果的に「なんでも東京が優遇される」ことになるもんな。オタク事業に限らず、海外の有名なレストランとかサービスとかも絶対1番に東京に来るし。世の中の構造すべてに腹立ってて、そのひとつが2.5次元の交通広告だったてだけの話なんだけど、なんでこんなことになってしまうんだろうね……人と人はわかりあえませんね。

私も地元に住んでいたときは、東京の震度5は延々と放送するくせに、地方の豪雨やデカめの地震は伝えて即終了するニュースを見ながら、「私が見てるのは”全国”ニュースじゃないんか!?!?!?」とキレていたのに…人は変わってしまうものですね。

 

 

07 世界の中心がソウルだった女

K-POPの韓国の現場はマジで近くてやばい、というのは聞いたことがあり、私の知人にも、私が年に親の顔を見る回数の10倍くらい、韓国で推しの顔を撮ってる人がいる。どうやって仕事と両立してるのか不思議でたまらない。K-POPのファン文化って日本とは違うものが多くて本当に不思議で、「ファンが金を出して誕生日広告を出す」とか、「ファン主宰で交流イベントをする」とか、なんか…すごい、肖像権とか著作権どーなっとん?と思うことが結構あります。

推しが海外にいる、って人の話はおもしろい。東京以外に焦がれる街があるひとの視点が入ってるのはいい編集だなー。

 

08 試される大地で亀梨くんを追いかける女

札幌ドームを埋められるのは嵐と東方神起だけ、って言いますよね〜!1回だけ、札幌ドーム公演に行ったことがあり、そのときに札幌在住の友達に「ライブの次の日、飛行機まで時間あるから遊ぼうよ。網走監獄とか行きたいな」って行ったら「最低でも3日休みとってから言え」って怒られたことがあります。

地方在住オタクの良いところは「チケットに当たりやすい」っての本当にわかる!東京に来て、なんのジャンルのチケット当たらなすぎて発狂したもん。異常です。東京に住んでる同担、半分くらい死んでくれんかな〜。

地元に住んでたときは、歌舞伎とかミュージカルみたいな1ヶ月公演があるものは、「1回観てから、もう1回観るかどうかを決められた」んですけど、その生活が本当に恋しい。ていうか、これが普通だと私は今も思っている。面白いかどうかわからん公演のチケットを、半年前に複数枚買っておくのって変じゃない?東京にいる何かのオタクの人、目を覚まして。てか、1回観て、「なんていい公演なんだ!もう一度観たい!!」って思うからまたチケットを買うっていうのが、健全な人間の在り方なんじゃないか?????

ミュージカルを観て感動した帰り道、その足でチケットセンターに寄って、次の週末のチケットを取れていたあの日々が懐かしい。全公演完売でも「当日券10時から売りますよ」って言われて、10時に行って誰も並んでもなくて普通にチケットを取れていたあの頃が懐かしい。今からでもそうなりたい。もちろん、それができるのは、私の地元の人たちに歌舞伎やミュージカルなどの芸能を観る文化が根付いていないからであって、満席にならない舞台芸術を公演するのは運用側からすると負担でしかないっていうのはわかる、んですけど、でもなーと思うのが正直なところです。

 

09 沖縄で栗田まことに焦がれる女

沖縄!!!!!考えたこともなかった。沖縄に住むってかなり憧れるけど、オタクをするのは確かに大変そうだ。物流も本土とは違うだろうから、上記の「新刊が遅れる」どころの問題ではなさそう。

これ読みながら思ったんだけど

上京してから、おいしいものを食べるのと、人と会うのと、舞台とか映画を観に行くのにお金を使ってた

というような、”東京にしかない(と思われる)生活”、コロナで失った人多そう〜と思いました。でもじゃあ沖縄に住んでてもいいよねってなるかというと全然違うのもわかってて、「コロナによって物理的に公演がなくなる」とか「コロナによって物理的に生観劇は中止になって配信になる」のと、「東京で公演をやっているけど自分は見れない」のって精神的に全然別物だと思う。今の世の中だと、自分以外にもみんな我慢を強いられてるから平気なことも多いよね。普段の生活(オタ活含め)で他人と比べてしんどくなるのって、他人は楽しくやっていることを、私はできないってことだと思うので。

 

10 高知に戻って7年目の女

高知のジャニヲタ、多分あややさんかな。あややさんのようなしっかりした考えを持ちしっかりした文章を書く人が地方に住んでいるという事実は地方在住時の私を励ましてくれることが多かったし、今も励まされていると思う。

あんなに私は東京に恋していたのに、東京側は私を必要としていなかったのだと打ちのめされた。

この感覚、全く同じことを私も抱いたことがあってしんどい。なんなら私は2回味わったことがある。大学受験で東京の大学に落ち、新卒就活で東京の会社50社くらいに落とされた(結果東京の会社には1つも通らなかった)ので、本当に東京に呼ばれてない感がすごかった。私はこんなに東京に行きたいのに、地方出身の子供が上京できる2大チャンス「大学受験」と「就職」のどっちもで私は東京行きの切符を手にできなかった。私は地元で就職することになるのだが、本当に地元で働きたくなさすぎて悲しかった。親や親戚が「やっぱ地元で働くのが一番だよね♩」と嬉しそうなのもマジで嫌だった。一人暮らししたいと言ったのになんやかんやと丸め込まれて実家に住まなくてはいけなかったのも本当に嫌だった。東京に就職して渋谷近くで一人暮らしを始めた友達の近況を聞いては、実家の4畳のたたみの部屋をもらい、徒歩で会社まで行く自分と比較してしまいみじめだった。そのくせ会社の人たちは文明もデリカシーもないため、「いつまで実家に住むん?いつまでも親に甘えてちゃダメだぞ」と勝手に説教してくるので、本当に地元に関わる全てのことがイヤだった…うう…思い出すとお腹痛い…

私は地方コンプレックスを「1回東京に出る」ことでしか解決できなかった。多分この”高知に戻って7年目の女”さんも、大学で東京に出ているから折り合いをつけられている部分もあるのではないかなと思う。あとは仕事だよねえ。仕事が自分のコンプレックスを洗い流してくれる、ってこと、結構あると思う。

 

11 佐賀の星空を忘れた女

佐賀の人はミーハー、って説始めて聞いた。笑 TVQが写るから!って説は妙に説得力あってウケるな。

私はこの人ほど割り切れない。一生地元に戻らないと言えない。こんなに東京に憧れて地元を飛び出し、東京で好き勝手遊んでいるくせに、地元の「ちゃんとした人生(結婚、出産、育児、家を買う、親戚づきあいなど)」を歩んでる友達と会うと、かなりビビってしまう。地元より東京の方が上だと本気で思って東京に来たくせに、結婚して出産して家を買った友達と私の人生を比べると、「全然私の方が”下”じゃん…!?!」といやでも思い知らされる。

人生に上下とかないよっ!みたいな言説は本当にどうでもよくて、実際問題、他人と私は違うので、比べるとそこに違いがあって、客観的に見てどっちの方がライフステージを着々と進んでいるかということくらい普通にわかる。私は人と比べて人生が何周も遅いのだ。大学受験でも新卒就活でも東京に行けなかった人間が、社会人何年目かに東京に行こうとするなんて(しかも別に転勤とか結婚とかでなく、自力で行った)、普通に考えて遅すぎる。同級生はぼちぼち結婚とかして、自分の住まいを落ち着け始める頃に、私は、住んだこともない場所(東京)に引っ越そうとしていて、しかも引っ越してすぐに仕事で大きな挫折をして、東京に来てもなお東京に拒絶された感じで絶望していた。

人生って上手くいかん。私は普通の人より人生の歩み方が下手である…。

今は30歳が近づいてきて、数年前に比べると「人と私の人生は違う」ってことを実感をもって思えるようになってきて、自分の人生が他人と比べて周回遅れであることを、諦めも含めて受け入れられ始めた部分もある。それでも全然受け入れられてないこともたくさんあるし、他人に自分の考えや過去の経歴を話すとき、恥ずかしいから嘘を話すこともたくさんあるけど。今後、友達の人生はどんどん私と共通点がなくなっていくんだと思うと、しんどいなあと思うことはたくさんあるが、そもそも力みすぎっていうか、所詮みんな他人なんだよなあっていう、あきらめも必要なお年頃になってきてるなあと思います。

 

12 若手俳優の町を捨て埼玉と和解した女

地元が本州ですらない私は、埼玉の人のこういう感覚が本気でわからない。埼玉と千葉と神奈川なんてほぼ東京じゃんか!!!笑 なんなら私は栃木とか静岡まではほぼ東京だと思っていた。電車で東京に行ける範囲なら東京です。

私はこの方のいう

仕事も結構楽しいし、たぶん向いているんだと思う。私は、ここでのこの暮らしを、ようやく一人前になれたここでの仕事を、全て捨てて東京には行けない。

という感覚に共感できるところが大いにある。この同人誌は、テーマの特性上「オタ活と東京」が話の中心になっていますけど、実際問題、大人になってからの「私と東京」を語る上で、メインとなるのは仕事なんじゃないかなと思います。東京での仕事がめちゃくちゃうまくいっていて地方に帰りたい人ってあんまり見ないし、仕事や職場にどの程度「自分の居場所があると思うか」が、そのまんま「東京にいたいと思うか」に繋がっているのではないかと思う。

上京後の数年間、仕事で居場所がなかなか見つからず、でも東京にいたかった私は本気でつらかった。ここに私の居場所はないと毎日のように突きつけられて、それでもここに居たいと思ってる私は本当になんなんだろうといつも思っていた。地元は嫌いだけど、地元に帰ったら少なくとも家族がいて、私の居場所は確実に1つそこにあるとわかっていた。東京には、仕事はぎりぎりあるけど私がいなくなっても普通に仕事はまわるし、私が死んで悲しむ人はいない。

この方が埼玉と和解できたのは仕事が成長させてくれたからで、職場が自分の居場所のひとつになり、自己肯定感が芽生えたからだと思う。どれだけオタ活が楽しくても、孤独を深めたら人はそこでは生きていけないように思う。社会と自分がつながっているという実感、それが住む場所と密接に関わっていると思うし、結局、住む場所に対するコンプレックスって、「今の自分の人生を肯定できるか」って問題とかなり近い話だと思うのであった。

 

13 CLAMPで東京タワーに夢見た女

なんとなく、仙台で金なくしたひとにお金を貸した側の人のエピソードが頭をよぎった…けど、違う人かもしれない。

東京出身の人が、地方出身者に対して

何か根本的なところで絶対に勝てないんだろうなあと思ってしまう。もう、完全に最初から、負け戦なのだ。

と思うことがあるという事実について、私は何もコメントすることができない… 全然わからないので…笑 もちろんこれを書いた方も前段でかなり「文句言われるのは重々承知」的なことを書いているので、まあ、立場も変われば意見も変わるよなあということで。私に地方出身の気持ちしかわからないのと一緒で、東京出身の人には東京出身の気持ちしかわからないのは当然。

でもひとつだけ共感できることがあって、私が地元をとにかく出たかった理由の1つは「もう友達が1人もいなかったから」だった。学生時代に仲が良かった友達はみんなそれぞれの地元に帰るか、地方転勤するか、大阪か東京で働いていて、私の働いていた地域に友達が全然いなかったのだ。仕事の同僚は年上の人ばかりで(同期がいなかった)友達って感じとは違ったし、となると休日に遊ぶ人が本当におらず、ある3連休に予定がひとつも入らなかったとき、「孤独すぎる」と親の前で泣いたことがある。いい年して意味不明な理由で泣き出した娘を見て相当ビビったと思うけど、私の母親はそのとき「家族と住んでるのに?」と言いつつ「でもわかる、家族がいてもさあ、他人と関わってないと人って孤独なんだよね」と本質的なことを言って慰めてくれた。そういうことか、と目からうろこの気持ちだった。実家にいて仕事もあって、何がこんなに私の孤独感を増幅させているのかわからなかったけど、家族にしか埋められない心の隙間もあれば、他人にしか埋められない隙間もあるとそのとき知った。

実際、東京に来てから、あの3連休のときに感じたようなどうしようもない孤独感を感じる機会は激減した。連休に予定がなくても、「予定を入れようと思えば入れられる」のと、「入れようと思っても入れられない」のでは全然違う。私が東京にいたいと思う理由の1つは、地元よりも東京の方が友達が多い、という、身も蓋もない理由である。私の友達が全員私の地元に引っ越すなら、私も引っ越すかもしれない。

まあコロナになってからはほぼ誰とも会ってないし、なんならオンライン飲みで地元の子や遠く離れたとこに住んでる子とも話すようになったり、またいろいろ変わってるんだけど。コロナになる前は「わざわざ遠くに住んでる友達とビデオ通話」なんて、海外に住んでる友達くらいしか考えられなかった。

私はこのエントリ内ですでに地元が嫌いって話を10回くらいしてるけど、でも私の親戚はほぼ全員地元にいるので、私にとって特別な街なのかな…と思わ…なくもない。まだわかんないです。

 

14 山陰の港町で光を探す女

でも今は、1人で東京へ飛び出していけなかった自分を見つめていたい。ただただ見つめて、東京など関係ないと思えるまで、過去の自分を突っ切りたい。

泣いちゃう。

kuriage-start.hatenablog.com

 私はこのエントリがすっごい好きでびっくりするくらい読み返している。多分すごく励まされた気がしたからだと思う。地方出身でそんな自分が嫌で、どうしても東京に行きたくてでも東京に行けなくて…という、ほぼ同じような経験をしたことがある私は「どんなにいやなことしかなくてもまずは働いて自分を取り戻さなくてはいけない」という意思にしびれたのだった。

私も挫折して地元で働き始めたとき、毎日死ぬほどいやだったけど、何年か働いて、この方が言っているのとまさに同じで、”東京への強烈な気持ちはぬるく溶けていった”のだった。いろいろあってその後東京に行ったけど、行くかどうかかなり迷った。迷った理由は「別にこのままでも不都合はない」と思ったからだったのを覚えている。そう思い始めている自分にびっくりした。

人生は続くし、時は経つし。そうこうしてるうちに、周りの環境も自分の気持ちもどんどん変わる。20歳くらいのとき私の前で「もう地元戻れないわ私〜」とイキっていた友達、今一番地元帰りたがってる。20代って本当にめまぐるしくいろんなことが変わって過ぎ去っていくから、「頑張れなかった」と思うことも、通り道でしかない、よね。

 

 

 

おわり。

私は地元のことも東京のことも憎いので、自分語りがしたいだけの呪詛レビューになってしまった。地元にいたとき「ここには私の居場所はない!」と思って上京したものの、東京に来たら来たで別に居場所はなかったので、ただ単に私はこの世に居場所がないということに気づいたのでした。

コロナになって余計にいろいろ考える。「ねえ、東京いる意味なくない?早く地元帰ろうや」と言ってくる友人もいれば、「家いる時間増えたし東京でマンション買おっかな〜★」とか言ってる友人もいる。私は友人たちのように明確にどうなりたいかがまだわからない。来年に延期されてしまった東京オリンピックまで、果たして私は東京にいるのか、まったくもってわからない。社会人になってからずっと、1年後の自分がどうなっているのかわからない不安感と共に生きていて、でもそれって言うなれば無計画ってことなので、このままなんとなく生きていくの、めっちゃ怖いなと思っている。

けど、もう少しだけ東京にいたいかな…となんとなく思う。理由ははっきりとはよくわからない。楽しいけど、つらいことも死ぬほどある。人生で一番病んだのは東京に来てからだった。結局私にとって「地元か東京か」っていうのは、「私はどうしたら自分の人生を肯定できる?」っていう果てしない問いみたいなものだ。がんばるしかない。

 

 

けど本当に東京オリンピック、来年やるのかな?笑

つくづく東京とオリンピックって相性悪いすよね。1940のときも戦争っていう「どの国が持ち回りだったとしても中止になったはず」の理由で白紙になり、2020は疫病でまーーーたもめている。さすがに組織委員の人かわいそうだなって思いながら動向を見つめています。東京オリンピックがたとえなくなったとしても、あると思ってたからなんだかんだ2020年7月まで東京にいることができましたので、今日は節目の日ということで。

 

 

昔書いた『悪友DX 美意識』の感想はこちら

aonticxx.hateblo.jp

   

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