その手を離せるか/舞台『ギヴン』感想

何から話せばいいのか……

 

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【もくじ】

 

とりあえずキャスト感想。

キャスト感想

初舞台で初主演、そして一発目のセリフが「寂しくないよ」から始まる大役だった有馬くん。なんかほんとにもう、歌がうまいから選ばれたんやろうなあ…としみじみ伝わってくる、人の心をガンガン揺さぶる歌声が印象的でした。そしてなんといっても、立夏を落としたのもうなずける魔性の男感がすごい。有馬くん自体がなんかこう、ノンケの男の子が彼を見てドキッとしてしまって「今なんで俺ドキッとしたんだ!?」って焦ってしまうような雰囲気を持っており、間違いなくはまり役だった。声がきれいで、ためらいなく”かわいい男の子”のしぐさができて、けど肝が据わってる感じ。よくこんな子おったなぁ。

 

似すぎて本当にびっくり。顔、しゃべり方、たたずまいまで何もかも立夏すぎた。一人だけバンド経験者ということもあり本当に澁木くんが参加してくれてよかったなーと思ったし、それでも、自分が引っ張るというよりはみんなを支えたいってスタンスでいたことがいろんな言動から伝わってきて人柄が見える感じがした。等身大の高校生の男の子っぽさに違和感がなく(実年齢びっくり!)、「あいつの声聞いてるといたたまれないんすよ!!」に象徴される、音楽と恋心が絡まりあって加速するこの作品のアクセルみたいに稼働してたひと。真冬を好きになるまでの過程が見ててわかったし、キスシーンほんとかっこよくてどきどきした。

 

本人の中性的な雰囲気に春樹の役作りも引っ張られてるような気はしたけど、ギヴンが好き、そして秋彦が好き!をこれでもかと伝えてくれた須永くん。私がタケちゃん役のまさくんをそもそも好きっていうのもあったけどタケちゃんとのシーンいちいち好きだったなー。

 

本当によく秋彦でキャスティングしてもらったなと100回くらい感謝したひと。悪い男っぽい三白眼に骨格からして普通の人とは違うかっこよさの持ち主で、さらに背が高くて金髪も似合うという、何から何まで秋彦できてくれて感謝でしかなかった。もともと川上くんのかっこよさを知ってたので、そんな彼が「別れた恋人と今も暮らしてて関係性に行き詰まている、男にも女にもとにかくモテる色男」の役を演じると知ったときは衝撃でしたが、そのときに「見たい!!」と思った直感は正しかった。カテコの挨拶を秋彦だけ雨月とあわせてクラシックの人のお辞儀にしてたの、意図的だったんだろうなあと信じる。

 

どんなに言葉を尽くしても多分うまく伝えられないと思うが、舞台ギヴンの公演期間私はずっとつらくて、そのつらさは「今この世のどこかでしょーごくんが雨月を演じているという事実に耐えられない」というよくわからないいたたまれなさだった。しょーごくんのクールな美貌とつかみどころのない性格がこれでもかというほど雨月にはまってて、もはや見てて怖かった。板の上に立つしょーごくんを見ながら私はずっと不安で、でもそういう「見てる人を不安な気持ちにさせる力」こそがしょーごくんの持つ才のひとつだと本当に思った。川上くんとはまた別の文脈で、芸能の世界に入るしかなかったひとという感じがする。あまりにも見てて苦しく、そしてその美しさにずっとどきどきしていたので、「神様ってこんな顔してるのかな」と本気で思った。

 

タケちゃん、柊としずちゃん立夏のクラスメートまでみんなうまくてかっこよかった!

 

キヅナツキ先生の世界観は苦しいと思う

私はそもそもこの作品が「好き」かといわれると即答しかねるという話はずっとしていて、でも今観なきゃいけないと思う理由がいくつかあって歯を食いしばって観ていた。自分でチケットを取ったくせに「見たくねえ~」って言いながら見たの、ミッドサマーかギヴンくらいである。

作品のストーリー自体に関する感想はこちら。

aonticxx.hateblo.jp

私はそもそもしょーごくんが好きだからこの作品に興味を持って、原作のアニメを見て案の定雨月を好きになった*1という経緯があるため、私は好きな人が傷つく瞬間を何回も見る羽目になってしまった。単純にそれがつらかったし、しょーごくんがそれを立体的に演じることでつらさは膨らんだ。

 

が、舞台を一緒に観まくってくれた友達はもう10年前くらいからキヅナツキ先生の作品を読んでおり、「初めてキヅナツキ先生の作品を見たからそんなにびっくりしたんだと思う。あの人は本当に昔から、三角関係とか、昔の男がいるとか、好き同士だけど別れるとか、そういうのばかり描いてる人」というありがたい解説をしてくれて、その話を何か月もしてるうちにちょっとずつ心の整理ができてきた*2

改めて考えてみると、私は恋愛もののフィクションで「別れる二人」を今までほぼ見たことがないと気づく。たとえばディズニー映画に出てくるカップルはほぼ全員がlive happily ever afterだし、愛の不時着みたいな運命の大恋愛ドラマが好きだし、そして(ギヴンのような)男の子同士の恋愛ものでいうと二次創作を見る機会のほうが多くて、そして多くの場合二次創作はそもそも「その二人が恋してるところを見たい」欲求が具現化した作品を見るので、だいたいその二人は付き合ってるか、今付き合ってなくてもそのうち付き合う。

よって私は、「好き同士だけど別れる二人」とか「今Aさんと付き合ってるけど別れてBさんと付き合うことになる人」とかを、フィクションの中で目にすることがなく、それで、まったく耐性がなかった。思い起こせば、ラ・ラ・ランド全然好きじゃない派の人間だった。

が、このあたりがキヅナツキ先生の美学というか世界観というか、描きたいことなんだと思う。キヅナツキ先生は永遠に普遍の愛とかよりも、関係性が変化する瞬間を描くのが好きなのかもしれない。「別れる」という最大瞬間風速のときにだけ生まれる一瞬の爆発的な感情を描きたい人なのかも。しょーごくんも「原作の漫画読んだときに、綺麗な絵やけど地べた這いつくばるような人間の感情が描かれてるから、キヅナツキさんがどういう人生を送ってきてこんな話を描くのか気になってギヴン以外の作品もいろいろ読んだ。表には出さないけど挫折した経験とかあるのかもしれんし…とにかくキヅナツキさんの頭の中を知りたくて色々読んで、逆にギヴンを読めなくなった」みたいなことを言ってて、その思考の言語化センスにも脱帽したけど、でも、言いたいことはすごくわかる気がする。

そもそも由紀ー真冬ー立夏の関係性も「昔の男がいる男」ではあるのだが、春樹ー秋彦ー雨月の関係性は現在進行形であるというキツさがあり、さらに、ぶっちゃけて言ってしまうと「攻め側に昔の男がいる」っていうのが新鮮すぎた。もー!!

 

かくして私は「別れることで完成する関係もあるよね」派の人の美学を無理やり脳に流し込まれ、脳みそぐちゃぐちゃにされ、こうして舞台終了の3か月後にちまちまと感想を書いているのであった……

 

何が苦しいかって無関係ではないと思ってしまうこと

BL作品は女の子が「部屋の壁(=完全な第3者)」となって楽しめるもんだとずっと思って生きてきたのに、こんなにつらいのは私が感情移入しすぎたのもあったと思う。その感情移入の8割は、しょーごくんに対する行き場のない気持ちだったと思うが、2割は、この作品の描くテーマがわりと人間に普遍的な、「人生は進むしかなく二度と昔には戻れない」「人の気持ちは自分では変えられない」「手が届かないほど才能のある人はこの世にいてそれは自分じゃない」みたいな、そういう、自分が人生の中でどうしようもなく苦しいと思った経験と無関係ではないと思ってしまうからだった。

実際のところ、ギヴンに出てくる男の子たちは私の人生とはまったくかすりもしないはずだけど、でも彼らが持ってるものに私が憧れたことがないかというと噓になってしまう。誰かのことを死ぬほど愛したり愛されたりする経験とか、才能と努力で順位づけられる世界で結果を出した経験とか。そういうのと無縁な世界で生きてきて興味もなかったなら他人事だけど、私の場合は人生の中で、なんでこんなに人との関係の構築は難しいんだろうかと思ったり、この世の誰と比較したって自分に優れてる部分なんてないと思ったり、そんなことの積み重ねでしかなかったし、そういう、本当はコンプレックスに思ってるけど普段見ないようにしてどうにか生活してる部分をぐさぐさ刺されてる気持ちになった。

そしてそれを生身の身体と過去をもつ俳優さんたちが演じることで、彼らはフィクションの登場人物ではあるけど彼らの向き合ってることって現実に重ねても起こりうることなんじゃないか?っていうのを実感としてすごくすごく感じてしまったというか…。役者陣も同じようなことで悩んだこともあるかもしれないし、でも私と同じようなことを悩んだことは多分ないのではないかと思ったり。役者陣はギヴンのキャラクター寄りのひとたちなんじゃないかと思って、その距離感…ていうか、(自分との)溝?みたいなものが可視化されているように感じる部分も個人的にはあった。

これ以上はうまく書けない。

 

ストーリーに話を戻します。

 

その握った手を離せるか、あるいは、何があっても手を離さない努力をできるか

ギヴンを観てる期間ずっと頭の中にあった概念。ちょうど映画ディアエヴァンハンセンも観てた時期で、この映画はまさに「その手を離さないと覚悟を決めた瞬間」が描かれた作品だったと思っていて、ギヴンはその逆の概念、「その手を離すと決断できるか」を描いた作品だったなと思ったのだった。

私の個人的な癖の話になってしまって恐縮なのですが私は幼なじみor兄弟萌えの因子を持っており、一生一緒にいることが確約されてる二人組を好きになりがちという傾向がある。それはそれで、そういう関係性が現実にはないと知っているから。もしくは、「運命に引き裂かれかけた二人がどうにかして一緒になる未来をあきらめない」みたいな話が好きで、それも、「ずっと一緒にいてほしいなぁ~」という憧れからきてるんだと思う。

雨月と秋彦に課されていた「その手を離せるか」という主題は、二人にしかわからない痛みがあったと思うけど、でも、なんていうか…そのつらさって単なる「失恋」って単語より解像度の高い痛みだ。好きな人が違う人を見ているという寂しさ、楽しくて幸せな時期があったことをお互いに知っているからすっぱり離れられない惨めさ、自分の好きと相手の好きの量も形ももう同じではないと気づき始めること、どれだけ肌に触れることができても相手の心には触れないともうわかっていること、自分はまだこの場にとどまっているのに相手が一歩踏み出そうとしたときに引きずりおろしたくなるどす黒い気持ち、一生この人以外好きになれるわけないと思っていたはずなのに、別の人といる自分の未来が浮かんでしまったときの言いようのないショック…など。

キヅナツキ先生にとってはそういう、恋愛感情で私生活がぐちゃぐちゃになる感じが恋なんだと思うし、その側面ってたしかにあると思う。毒になるか紙一重みたいな感情でもあるけど、でも、熱量のままにめちゃくちゃなことができてしまうのも、恋愛感情ならではなはず。

なので私は秋彦の「諦めたい、諦めたくない、…触りたい…」っていう独白が泣いちゃうくらい苦しくて好きで、人を好きになる苦しさが凝縮されてる言葉だなぁと思うのであった。

一生に一度の恋だとお互いに思ってる相手を手放す苦しさって一筋縄ではいかないし、それでも秋彦と雨月は「一緒にいることがお互いによくない」ってお互いにわかってて、あとは手を離せるかどうかだった。その経緯で秋彦は自分が他の人を好きになれる可能性に気付いて、大変悲しいことに、どちらかというと執着し続けていた秋彦側が先に一歩世界の外に足を踏み出すことになり、結果的に雨月がめっちゃ傷ついてしまうのだけど、それでも、雨月があんなに泣きながらでも秋彦の手を離せたことは、こうするしかなかったし、人生の中にはそういう瞬間もあるっていう苦しさを、とりあえずそのまんま受け止めようと思う。

しょーごくんが舞台上で本当にボロボロ泣きながら演じていたので私は感情が無くなるほどしんどかった。しょーごくんのよくないところであり最大のよいところは、そういう、普通の人があんまり経験しないようなめちゃくちゃな重い感情によって大変な目に合う美少年の役がはまりすぎてしまうってとこであって、あんまりにも似合っているので私は苦しかったけど、でも、しょーごくんがこの役を演じるところを見れたのは本当に貴重な経験だった。私はしょーごくんにはこういう、現実にはいない役をもっとやってほしいと思います。

 

衝撃だったんだけどしょーごくんはギヴンの原作で雨月を見たときに「俺やん」と思ったらしい。普通、村田雨月を見て「自分みたい」って思う現実の人間はおらんのよ。先日のアンコールイベントで共演者の方々もしょーごくんは雨月そのものって言ってた。川上くんが「表はゆるゆるしてて中身はつかみどころのない感じまさに雨月」って言ってて、しょーごくんも「原作見たとき俺に似てるなあと思った。あんま考えてること言わへん感じとか、深いとこで自分ひとりで解決する感じとか」って言ってて、とんでもねぇな…と思った。でも、現実におらんわこんな男!をなぜか現実にいる男の子が完璧に演じちゃう瞬間を目撃できるのが2.5の醍醐味だと私は思うので、そういう意味で、ベストキャスティングと思える舞台を見れたのは幸せだった。一生忘れない。

 

そして聖地巡礼へ…

私はなんで秋彦が春樹を好きになったのかいまいちわからんなぁと思っていたのですが、まあ、「誰を好きかより、誰といる自分が好きか」ってことなんだろうなーと納得しておりました。そして舞台ギヴンロスになった私は聖地巡礼の地、登戸へ向かうのであった。

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スタジオ練習が長引いて終電を逃した春樹と秋彦が歩いて家まで帰り、多摩川の河川敷を歩きながら朝日が昇り始める…というシーンがあるのですが、実際に登戸まで行き河川敷を歩いてみたところ、この情景のむせかえるような切なさとなつかしさに「こりゃ、好きになるわ……」と魂が納得しました。

フィールドワーク、大切。

雨月とは地下室でずっとふたりぼっちみたいに暮らしてた秋彦が、この河川敷を春樹と歩きながらふと空を見たときに一気に自分の感情がばばばーって変わっていくのに気付いた瞬間、怖かっただろうな。でも、もう戻れないって悟っただろうとも思う。クラシック畑出身でバンドもこなしてた秋彦が、自分は誰といるときに音楽を好きでいられるかって観点で人生を立て直したのはすごい根性だと思う。でも、そういう、「誰かを好きになることで自分の判断軸が変わる」みたいな経験も、そういう恋愛をしたことのある人にしかわからない感覚なんだろうとも思った。

 

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ちなみに、秋彦と雨月が別れ話をした場所も神泉にあるとのことで訪れてみた。最悪の聖地巡礼かよ。以後、私は神泉に行く用事ができると具合が悪くなるように…

 

これからどうしよう

1週間、命を燃やして劇場に通い、「つらい」って1日300回くらい言って、いっそ早く終わってくれとうなり続けてて、マジで正常な私生活が遅れないほど苦しかったので、終わってからは解脱して、しょーごくんのことをこれ以上好きになると人生に支障が出ると思い情報を遮断するなどしていた。こういうわけのわからん苦しさを抱えながら何かを追うのは久しぶりで、「恋心と信仰心がごちゃまぜになっとる」と友達に指摘されましたが多分そんな感じだったと思う。だが、何かを見てそこまで心がねじきれるような気持ちになることってあんまりないので、結構良い経験だった。どうせ何かを見るなら感情が動くものを見たほうがいいよね。

 

最後に、公演期間中にしょーごくんがあげていた美しい写真を未来の自分のために残しておき、感想文を終わりたいと思います。

 

刀ミュ雨さんのときから思っていたが、本当に稀有な目のかたちだと思う。

 

ブルベ冬だろうな…

 

フォロワーが「宗教画か?」と言っていた。スウェット姿なんて簡単に見せていいものじゃないんよ。しょーごくんの特別な目のかたちがすきだと思っていたけど、改めて、輪郭がすきかもとおもった。この完璧なEライン!

 

しょーごくんも川上くんも、こんなにかっこいいのになぜかTwitter営業の才能がめっちゃあるため、こんな写真をUPしてくれたときは気絶した。この、目は合わせないけど離れがたい感じ、秋彦側が複雑に思ってて雨月は何考えてるかつかめない感じ、よくつかんでるよなあ。二人とも本当に当たり役だった。

この二人のラブシーン、初見だと自己嫌悪に陥る*3ほどすごかった。どきどきしたし、見れてよかったし、なんていうか、本質的だった。二人の役者魂に感謝です。

 

世界一黒スーツ似合うで賞、二人にあげたい。ちなみに二人が同時に黒スーツを着るシーンはないため、このために揃えて着てくれたんだと思うとじーん。

 

しょーごくん、笑ってないときの顔が冷たいのではなく美しく見えるお顔立ちなところが好きで、刀ミュでは笑ってないとこを見るとこのほうが多かったから、笑った顔もめちゃくちゃきれいでびっくりしちゃう!

 

まさくんへ。その気持ちわかります。私より。

 

しょーごくん、公演期間中、ピン写か、秋彦or真冬(雨月が作中で会話するのはこの2人だけ)とのツーショしかあげてなくて、しょーごくんのセンス…と思った。世界観を踏襲してるというか、Twitterにいるのはしょーごくんのはずなのになぜかずっと雨月の寂しさを感じてた。

 

しょーごくんのこういう感覚値を私は好きになったのかもしれないな。

 

 

おわり。

 

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*1:そもそも雨月みたいなキャラを好きになりがちだからしょーごくんを好きになったのかもしれない。卵が先か鶏が先か…

*2:別の友達にも言われた。おかげさまで、ヘタリアと黒バスのお宝同人誌を拝読する機会を得ました

*3:金払って、こんなことさせたいわけじゃないよ…という、謎の病み