「精悍な顔つきで構えた銃は他でもなく僕らの心に突きつけられてる」〜SMAPはどうなるんだろう、という話〜

(むかし別のブログに書いた内容の転載です)

 

 

SMAPの例の生放送の次の日、あるファンの方がつぶやいた「まだどろどろとかなしい」という言葉が、すべてを物語っているようでわたしはほんとうにかなしかった。

 

アイドルってなんなのだろう。

 

峯岸みなみちゃん丸坊主事件から、KAT-TUN田口くん脱退、そういったことが起こるたびにぼんやりと胸に浮かんでいた疑問はその日から私の頭の中をぐるぐるまわりはじめた。

 

SMAPはよく解散報道が出るグループで、それは彼らが個人個人で活躍しまくっているからだと思う。MC、俳優業、ラジオ、ファッションモデル、バラエティーなど、それそれが1人でも十分に活躍できるキャリアとフィールドを持っていた。でも、少しSMAPを知っている人なら空気感でわかることなんだけど、SMAPのメンバーが口にする「楽屋では全員口もきかない」「メンバーの連絡先知らない」という言葉を聞いて、「不仲!!」とかいうのはあまりにも短絡的だ。誰が見てもそうじゃないとわかるでしょう、というかんじ。子供の時からずっと一緒にいて、仕事場も一緒で、それで今でもベタベタしているほうが珍しい気もするし、仲いいんですか?と聞かれて、別に仲良くありません(笑)と答えることなんて、ネタであり照れ隠しである。ふつうの人ならわかる。

だからこそ彼らがたまに語るSMAPについての言葉はファンの胸を刺した。「俺は小学生のときからSMAPだから、SMAP以外の生き方を知らない。SMAPを辞めるときは芸能界を辞めるとき」と常々口にしていた香取くんや、「俺はどんなやつらが襲ってきてもSMAPを守れる」と言った中居くんの言葉は、生身の本人たちと直接話したことがない私たちにさえ、それはおそらく本心なのだと思わせるリアルさがあった。生き様や発言に出ていた。だからSMAPのファンはSMAPをすきなのだ。

だからこそ今回の報道が出た最初の方、ファンの方々は静観していたと思う。

 

今回のSMAP解散騒動がどんな背景で起こって、あの生謝罪みたいなやつはいったい何を伝えたかったのか、ネットの反応とマスコミの報道がかけはなれていたことなどについてはここでは語らない。はっきりしないことが多すぎるし、それについては古残のジャニーズファンの方たちがいろいろと資料や考察をまとめてくれている。読んでも混乱は増すばかりだけど。

 

私が今回はっきりと自覚してかなしかったのは、「生活者にとってアイドルはコンテンツにすぎない」という事実だったのだ。

 

芸能人は、人間だけど、実は「商品」だ。だから、マネジメントという言葉が存在する。

たとえばだけど、しくじり先生ホワイトベリーのボーカルの女の子が出たとき、「やりたい音楽じゃなかったから早く解散したかったけど、いざ解散してやりたい音楽をやってもさっぱり売れなかった」と言っていた。容貌や言動が激変したことでおなじみの鬼束ちひろさんは、「私はもともと派手なメイクや恰好が好きなのに、清楚なイメージで売り出された」と語ったことがある。歌手のyuiさんはいまは金髪ショートだけど、ドメジャーだったときはずっと暗い髪色で歌っていた。

まことに残念だけど世の中は、やりたいことと求められることが一致しないことがある。

ホワイトベリーは中学生でデビューしたから、本人の望む「本格バンド」とうたうより「中学生のキュートなガールズバンド」とうたうほうが確実に目立てたと思うし、実際その戦略は当たった。鬼束ちひろさんがいまのルックスで世の中に出ていたらあの『月光』の美しい世界観がここまで評価されたかわからない。童顔でかわいらしいルックスのyuiさんも最初から金髪だったらたぶんここまでファンはついていないと思う。

そういうことを判断してプロデュースするのが芸能事務所、ひいてはマネージャーの役割である。

 

つまりアイドルは、ありのままの姿ではなく「売れそうな言動をしている」ということだ。それは全然悪いことでもなんでもなく、当然のことだ。売れなくては商品価値がない。

 

私たちは彼らの人生を商品として消費している。

ライブをみるのは楽しい、テレビに出ていると観ちゃう、CMしている商品は買っちゃう。

エンターテイメントを消費するのは楽しい。娯楽があるから人生は楽しい。ある人にとってはアウトドアでったり、旅行であったりする娯楽というものが、ある人にとっては「アイドルを楽しむこと」なのだ。

 

アイドルを楽しむとはなんなのか?

いちばんの基本はステージである。歌って、時には踊って。顔のきれいな子たちが上手に歌って踊っている姿をみるのはたしかに楽しい。心がおどる。そのあたりの理屈はきちんと説明できない。でも、なんだか楽しい。

そしていまのアイドルはそれだけじゃなくなった。AKBを中心に、SNSやブログを通じて自分たちの日常のことを発信することはザラになった。いまここまでバラドルとして頂点を極めている指原さんも、もともとはブログがおもしろくて有名になった子だ。アイドルはそういった自分のセルフィーや、メンバーとごはんに行ったことや、ファンへの思いを毎日のように発信する。ステージに立っている以外の姿も簡単に見られるようになったのだ。

ジャニーズの子たちはSNSやブログをしないけど、その代わり毎月膨大なアイドル雑誌が出ている。そこでのインタビューをファンはむさぼるように読む。有料だがメルマガのようなものも配信されていると聞いたことがある。

 

よく考えたらこれらのことは全部消費行動なのだ。

プライベートを切り売りしてくれるアイドルたち。大好きな手の届かない人の人生を、私たちはお金を払うことで覗くことができる。

 

アイドルの熱愛がここまで話題になる理由は、「買いたいコンテンツではない」からなのではないだろうか。女性アイドルに処女性を求める云々の話はまた別に絶対にあるのだけど、恋愛禁止ではないジャニーズアイドルでさえ、熱愛報道には敏感だ。怒ったり泣いたりするファンもいる。そこまで騒がないけど、なんとなくやだなと思う程度の人ならごまんといると思う。去年は福山雅治さんや西島秀俊さんなど大物が次々と結婚してショックを受ける人が多かったけど、根本的には同じなのではないだろうか。別に自分と付き合ってほしいとか思っていたわけではなくて、なんとなく嫌なのだ。それは私たちが芸能人を消費している、つまりお金を払っている立場だからだ。だから我々ファンは一瞬にして思ってしまう、「私はお金を払ってまで、あなたが私の知らない誰かとイチャイチャしている姿を見たくありません」と。

 

ここの関係性が難しい。芸能人は消費される立場でありながら、生身の人間同士として比較すると、おそらくファンより何倍も金持ちで、いわゆる「勝ち組人生」だ。交友関係も仕事の規模も比べ物にならない。ファンはアイドルにお金を払う。だからアイドルは「ありがとうございます。あなたのおかげで食べていけます」という。でも、だからファンのほうがアイドルより偉いのかというと実際にはそうとは言えないと思う。そこのところを見せないことがアイドルマネジメントの真骨頂だ。ファンが見たがる部分だけを見せ続けられるか?女性アイドルが恋愛禁止である理由を「アイドルは夢を売る職業だから」という人が多いのにはこのへんに理由がある。

夢を売る。そうとしかいえない。この場合の夢は将来の夢とは違う意味で、理想とか、ユートピアとか、ファンタジーとか、そういった意味での「夢」だ。見たいものを見せてくれる、それがアイドル。

 

怖いのはそれの中の人が、実際にいま現実を生きている生身の人間であるということだ。

 

私たちにファンタジーを見せてくれていた人たちは、実際には私たちが実生活でぶち当たっているさまざまなことと向き合っている人で、具体的に言うと、「上司に逆らうとクビになる」とか、「会社の中に自分を育ててきてくれた大事な上司がいるけど、そのもっと上の立場の人がその人と仲が悪い」とか、「仕事ができる同僚が独立しようとしているけど、この業界は独立すると仕事がまわってこなくなる」とか、そういう、本当に、よくある話だ。

 

私たちにとっては商品である「アイドル」という概念は、本人たちにとっては「職業」であるということ。

 

職業選択の自由ということばがある。私たちは自由に職業を選ぶ権利がある。辞めたくなったら辞めてもいいし、逆に、不当に解雇されない権利も持っている。仕事とはそうあるべきだし、いまの日本の法律でそれは基本的に守られている。

だから私たちは、KAT-TUNの田口君がグループを脱退すると決めたとき、引きとめることができないのだ。そして田口君が辞めようと思った理由を永遠に語らないのもまた彼の自由なのだ。どうして?あんなにグループのことを、ファンのことを愛しているといったじゃないと泣き喚く声は、田口君には届かないし、届いたとしても、こたえる必要はない。

彼にとってアイドルとは「するもの」であり、「在るもの」ではないからである。

アイドルは「職業」だから、辞めることができる。それを私たちは、彼らが転職を宣言した時に初めて突きつけられたかのような顔をして泣き叫ぶのだ。

 

アイドルファンとはなんと矛盾を抱えた生き物なのだろうと思う。知らない姿を見たいし、でも知りたくないことは知りたくない。推しているアイドルが熱愛発覚したり結婚したりして、ファンを辞めると宣言する人を何人も見てきた。でも、田口君が脱退したときに私が思ったのは「彼らが自分の意志でステージを降りると宣言したら、応援したくてももう本当にできなくなってしまうんだな」ということ。それは私たちがファンを「降りる」のとは根本的に違う。

 

アイドル自らがアイドルで「在る」ことを辞めることができるなんて思ってもみなかった人たちのなんと多いことだろう。ジャニーズは、卒業システムのある女性アイドルと違って、半永久的にアイドルであり続けられるシステムを生み出した組織だから余計に。ファンはどろどろと誤魔化されてばかりだった。

 

そして、アイドルが半永久的にアイドルであり続けられるシステムを作り出した先駆者は他でもないSMAPなのである。

 

そのSMAPがアイドルでなくなるかもしれない?自分の意志でステージを降りるかもしれない?

このニュースが出たとき、背筋の凍る思いをしたのはスマ担さんたちだけじゃなかった。すべてのジャニヲタ、そしてアイドルと呼ばれるものを応援している人たちにとってこれはいてもたってもいられないようなニュースだったのだ。

 

でも本当に?

 

私はあの生謝罪のTVを見た後、あまりにもわけがわからなさすぎてTwitterをずっと追っかけていた。有名な話だがあの時間Twitterのサーバーはダウンして、しばらくTLが見られなかった。それくらいみんな誰かと「今のなんだったの???」という気持ちを共有したかったのだろう。

 

そしていろんな感想と憶測と考察とネタツイが飛び交って、1時間後にはもう、ジャニヲタ以外の人たちは別の話をし始めていた。

 

本当に怖かったのはそれだった。私は本当の意味で「アイドルはコンテンツに過ぎない」という事実を腹の底から理解したのだ。この退屈な日常に刺激的なネタを与えてくれてありがとう!声に出さなくてもわかる。殆どの人にとって、この出来事はスパイシーな暇つぶしのネタだったということ。

 

当の本人たちは現実に会社の権力や業界の圧力と戦っている生身の人間なのに。

 

でもそれが芸能人の需要の本質なのだろう。娯楽を生み出し、観客はそれに対価を払う。ちょろっとTVに出て、なんだかゾクゾクするような出来事を見せてくれて、すごい視聴率を叩き出せば、その広告枠は高く売れる。TV局はそうやってお金を稼いでいる。ほかのすべてのコンテンツ産業がそういう仕組みでお金を生み出している。「見たいものを見せる」のが、芸能という仕事だ。だから、人の不幸や、スキャンダラスなゴシップや、非日常の世界みたいな、私たちの窃視の欲望を満たしてくれるコンテンツを、芸能界はせっせと提供してくれる。

需要があるから、そこに供給が生まれる。資本主義社会の在るべき姿だ。

だから私は、「アイドルだって人間!思いやりのある応援をしないと許さない!」とか言うつもりは毛頭ない。正しいファンの在り方なんてくそくらえだ。どんな視点でコンテンツを消費しようが個人の自由だし、もうみんなSMAPがどうなるかなんて殆ど気にかけていないことも、どうとも思わない。

 

SMAPのこの騒動があって、ジャニーズ事務所が決してクリーンな職場ではないことを、夢見るジャニーズファンに見せつけたところで、ジャニーズ事務所は困らないのだろう。夢を買っている少女たちの忠誠心を、事務所は見抜いている。SMAPを解散させないために、CD不買運動が起きていたらまた違ったかもしれない。けど、現実には、少女たちはCDを買うという「正しい」方法で立ち向かった。

そしてそんなファンたちは何を見せつけられても言う。「解散しなくて本当によかった」と。

 

でも、大好きで大好きで大好きだからこそ、今回の騒動で新たな感情を持ち始めた層がいることを、事務所の人たちはどう思っているのだろう。

 

「ファンが『これからも応援したい』と思うただそれだけのことが、彼らの人生を縛り付けているの?」

 

アイドルという商品を見つめながら、実は彼らも生身の人間であることに一瞬でも思いを馳せたことのある層は、今回の一件で気付き始めている。そして一度芽生えた疑惑の種は育ってゆくし、これから何か起こるたびに私たちは毎回思い出すことになるのだろう。

 

一介のドルヲタとしてこれだけは言わせてほしい。「私たちが応援することで彼らは不幸になる」なんて、ファンに思わせた時点でアイドルマネジメントとしてはもうダメだったのだ。夢を売る職業者自らがファンを夢から目覚めさせるなんて、終わり以外の何物でもない。「彼らのこんな顔を見るくらいなら、応援しないべきかも」と思わせた時点で、「買いたくなる言動をとる」という業務を遂行できていない。

そこに需要はない。ファンは対価を支払わない。この心理、果たして無視できるだろうか?

 

 

ジャニヲタのとまどいは続くし、それでもきっと次のコンサートには行く、CDが出たら買う。

「好き」のエネルギーは本当に複雑でむずかしい。

 

「アイドルはやめらんない」けど、アイドルファンもそんなかんたんにやめられるものではないのだ。