いつか自分の物語になる/映画『長いお別れ』を観ました

この世でこの映画をこんなに楽しみに待ってたの私くらいじゃない!?と思うほど楽しみに待っていた映画『長いお別れ』、とうとう公開になったので観てきました!予想通りすごくよくて、2時間ずーーっとダラダラ泣いた。

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なんでこの映画をこんなに楽しみにしていたかというと、昨年夏頃に原作小説を読んで、めちゃくちゃ感動したからです。感動したし、好きな物語だと思ったので、これを映像で早く観たい!!とわくわくしていました。 

長いお別れ (文春文庫)

長いお別れ (文春文庫)

 

 

 

 

映画はほとんど原作と同じエピソードをなぞりつつ、それでいてよりエンターテイメントに仕立て上げようとする細かい伏線(若干あざといくらいの)も入ってたんだけど、それでも私が小説で感じた「家族と看病」のリアルさ、おかしさと切なさ、終わり方の美しさをきちんと描いてくれていたので、大満足でした!くしくも蒼井優さんがご結婚を発表された日で、なんか「優ちゃんおめでと〜!」って気持ちになりながら観た。こんな素敵な映画観たら誰だって蒼井優さんが結婚したの、近所のお姉ちゃんが結婚したみたいな気持ちで嬉しくなっちゃうよ〜。

ちなみにこの映画で蒼井優さんの両親役を演じたおふたりが、”親”目線でコメントを寄せてたの素敵すぎ。

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竹内結子さんと蒼井優さんの姉妹かわいかったー!二人ともがんばりやさんで応援したくなっちゃう。あのお母さんが育てたらこんなかわいくて不器用で魅力的な女の子ふたりが育つのわかるなあって思いながら観てた。女優さんおふたりも仲良くなったようで何より!

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この衣装のおふたり、すごくかわいい!!正統派美人の竹内さんが姉で、個性派美人の蒼井さんが妹なのめちゃくちゃかわいい。

姉・麻里ちゃんがアメリカに住んでるっていう設定、小説のときからすごく好きで、なんでかっていうと介護における「誰が面倒をみるのか問題」を浮き彫りにするから。「現実問題として旦那が海外赴任なんだから仕方ないじゃんか!」みたいな、実際に起こりうる出来事を浮かび上がらせる。一方で妹の芙美ちゃんがフリーランスなのも「何かあったら仕事の都合つけられるんでしょ」「そういうことじゃないんだってば!」みたいなことが想像できて、とってもリアル。

そして母・曜子さん役の松原智恵子さん、めちゃくちゃかわいかったー!おっとりしてて、でも意外と自分の芯があるみたいなおばあちゃん。家の固定電話の前に家族の電話番号をチラシの裏に大きくメモって貼ってるの、リアルすぎて笑った。私の母方の祖母がまさにこんな感じの人で、家族が何よりも大切で、ボケかけてる祖父(祖母にとっての夫)を甲斐甲斐しく面倒をみているおっとりしっかりおばあちゃんなので、あ〜〜〜こういうおばあちゃんわかる〜〜〜って思いながらみてた。

父・山崎努さんの演技は圧倒的。認知症の老人の歩き方、ものの食べ方、口の動かし方など本当にリアルですごかった。「原作を読んでいる時、この役のオファーが来るのではないかとの変な予感がありました」と本人が語っているほどの、運命のはまり役。

 

認知症が進行していく父のことを考えながら、姉妹が自分とパートナーとの関係を見つめ直していくのもとても丁寧に描写されていて、家族って問題は山盛りなのに自分と切り離せなくて、そこにはむかつくこともも愛情もわんさかあって、あー、なんか…死ぬまでなんだかんだでいっしょにいるんだよな、って思うとどうしようもなくて笑っちゃうみたいな。むつかしいけど、家族っていうほど悪いもんでもない…と、思う瞬間もあるよね、みたいな。

小説のときからラストシーンが本当に好きだったので、このシーンをそのまま映画にしてくれてて嬉しかった!妻と娘たちの介護を描き続けた中、彼女たちの父との別れを直接描かず、アメリカ在住である孫の崇が別れを語る終わり方なの本当に素晴らしいと思った。反抗期で、母親とはろくに口を聞かなくなったような崇が、個人的な思い出に基づいて、曜子や麻里や芙美とは違う意味合いで、家族として祖父のことを遠い異国から想っていたのだと。こんなに離れててそんなに会ってなくても、家族って家族なんだよな。

 

この小説・映画の優れているところは、自分の家族の経験を語りたくなるところだと思っていて、この物語はフィクションなんだけど、どこか「自分の物語」のように感じられる。私は2年前に亡くなった父方の祖父のことを思い出しながらこの物語を観ていました。

私はどっちかというと家族に愛着はないほうだと思っていて、家族と離れたくて上京した人間なので、祖父の死を体験していなかったらこの映画をそんなに好きにならなかったかも。でも、一度経験するのとしないのとじゃ家族との距離感も大きく変わるんだなあ、と身をもって体験したのが祖父の死という経験だったので、その経験を経てこの物語と出会えたのは幸運でした。この先自分が老いていくにつれて、どんどん家族が死んでいくんだなあ。まだ20代の私には全然実感が湧かないけれど、人が死ぬのは避けられないことで、それが人生で、だからみんなその死と向き合いつつ、自分の日常は進んでいくので自分の人生とも向き合い続けていくんですね。

 

最後に自分の経験を書きます。

祖父が亡くなったのは急で、この物語のように何年もかけてお別れの準備をしたわけではありませんでした。「なんか腰痛で入院したらしい」と聞いてから1ヶ月半後には死んじゃって、びっくりしたのを覚えています。

こんなにすぐ死んじゃうと思ってなかったから、祖父とそんなに話すことないし、母が嫁だからってお世話しに病院に行っているのを見るのもなんかいやだったし、当時とにかく仕事が忙しかったし…と色々、お見舞いにいかない理由はいくらでもあって、あんまり行かなかった。けど、「腰痛」で入院してたはずの祖父が、「実は腰から変なバイ菌が臓器に入っちゃったらしい」になり、「寝たきりでヒマだからかボケてきちゃって」になり、「おじいちゃん喋れなくなってきちゃってんだよね」になり、「おじいちゃんもう退院できないかもしれなくて、パパが落ち込んでるの」になり…

そんな日々のなかでも私たちの日常は続くのでおかしいことも起きたりして。まだ祖父が死んでもいないのに、祖母がせっかちすぎて葬式の準備を進め始め、「孫代表でお別れの言葉を読んで。こんなふうに」となぜか雛形を祖母が先に書いて渡してくる事件が起きたり。それを見て父が「不謹慎すぎる!!」とキレたり。家族ってめんどくさいってたくさん思った(笑)

最後にお見舞いにいった日曜の夜2時、母に起こされ、「おじいちゃん死んじゃったって。今から病院に行くよ」って言われて、家族でタクシーに乗って病院に行った。お昼時に病室に集まっていた叔母、叔父、いとこたちでまた病院に集結し、そのとき何を話したか覚えてないけど、反抗期のJKだった従姉妹が一番泣いていたのは覚えている。

朝方一旦解散になり、お通夜するからって父たちは色々手続きのために祖父母の家に集まり、私は一旦会社に行って、3日間忌引きで休むので今週の仕事のこれとこれとこれ引き継ぎお願いします!!とメールだけして、お昼過ぎに会社を出た。確かその足で喪服を買ったような気がする。普通の月曜日なのに、急にすごく非日常だった。

父のことを見直した3日間でもあった。私にとっての父は、家でずっとゲームばっかしてるヤツで、ムカつくことも結構ある人だったんだけど、喪主をつとめて葬儀屋やら寺やらとしっかり話をして葬儀を無事に終えた父の社会人としての真っ当さを目の当たりにしてびっくりした。「だってめちゃくちゃ人の葬式行ってるもん(笑)」と言っていたサラリーマン父、人としてちゃんとしててすげーー!!って思った。長男の父がおじ(父の弟)やおば(父の妹)との遺産のこととかもちゃんととりまとめたらしく、父すごいって思うのとともに、私にとっては叔父や叔母であるこのひとたち、父にとっては弟と妹なんだな〜このひとたち三兄弟なんだな〜って妙な感慨にひたった。葬式の前日は祖父の遺体を安置している部屋に三兄弟で寝泊まりしてて、かわいいなって思った(けど、おばの夫が、おばのことを好きすぎるという理由で三兄弟水入らずの夜に一緒に寝泊まりしたらしくて、そこにお前入んのかよ!wっていう… 物語のように完璧には進まないところも家族のめんどくささだなって思った。愛。)

お葬式の日も、焼香のときに4歳の従兄弟が爆睡したり、普通は手に持つ位牌を祖母が「邪魔だから」という理由で紙袋に入れて持ち運んだり、めちゃくちゃなことがたくさん起きておもしろかった。人が死んでるのにおもしろいことって起きるんだなーって思ったし、これは本当に体験してみないとわからないことだと思った。

それまで私は、祖父母が死のうが両親が死のうが私は私だし私の人生には影響ないって思ってるタイプだったんだけど、3日間仕事から離れ親族とずっといっしょに過ごしたとき、「家族からがんばって離れて生きなくてもいいな」ってわりと心から思ったのだった。仕事に忙殺されていてたまの息抜きはインターネットだけの日々になると、「要介護になったら施設に入れるべきだ!」「社会の役に立たない人間は見捨てるべきだ!」…のような、合理的っぽい極論で溢れているように感じてしまうけど、意外と現実世界って(親がいない人と親と絶縁してる人以外にとっては)「家族」って自分ごとで、そこには理屈だけじゃなく、愛とか情とかで成り立ってるもの多いんだなって気づくし、それって全然悪いことじゃない。家族に縛られて生きていく必要なんてないけど、そもそも誰かと愛し合って助け合って生きていく方が生きやすいから家族という構成単位が必要なわけだし。めんどくさいことも多いけど、とりあえず私には、家族がいてラッキーだなって思ったのだった。

当時4歳だった従兄弟は、小学生になった今でも祖父の入院していた病院の前を通ると「おじいちゃんのとこ」っていう。死んだことまでは理解できていなくても 、でも、彼は祖父のことを個人的な思い出として覚えているんだなって思う。崇と祖父のラストシーンになんとなく重なるような、私の個人的な体験。

 

 

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